スポーツ観戦

 世の中には様々なスポーツがある。野球、サッカー、バレーボール…。そしてスポーツがあるところには当然それを応援するファンが存在する。おそらくこれは三世紀にローマ帝国のコロッセウムで見世物が行われていた時代から変わらないことであろう。人間はみな「パンとサーカス」をいつの時代も求めている。

 かくなる自分もその「パンとサーカス」を求めている一員である。スポーツを観戦し、応援し、結果に一喜一憂するのが楽しみだった。なにかつらいことがあってもスポーツを観れば忘れることができた。

 過去形で書いているということはそういうことである。最近スポーツを観戦することがストレスになってきたのである、いや正確に言えば贔屓が負けるのがストレスになっているのである。全勝するチームがあるわけがないのだから必ずどこかで負けるに決まっているのだ。それを受け入れることができない自分がいる。こんな状態でスポーツ観戦なんてできるものではないというかしてはいけないだろう。

 自分ができないことを相手に求めることは常識的に考えてタブーであるはずだ。でも相手が自分の手に届かないものだとそのような思考になってしまうのだろうか。そのようなことがあっていいはずがないだろう。このような気持ちの二面性というものは自分だけのものなのかそれとももともと人間に内在しているものなのか。

自分の気持ちをどう整理するか

 自分の気持ちを自分で処理することは社会で生きていくためには重要なことだが、私の場合極度の神経質なのか自分の気持ちを抑えきれないシーンというのがよくある。こういったときには友達に話を聞いてもらうことが多いのだが、友達も人間であり他人である。いつも自分のスケジュールに合わせて動いてくれるわけではない。自分がしんどくなった時にすぐそばにいてくれるわけではない。そういったときに自分の内からあふれ出るネガティブな感情をどのように処理すればいいかと考えたときに、文字に起こすのがよいのではないかと思った。しかし、自分はあんまり手書きで文字を書くことが得意ではない。どうやって文字お越しをしようかと考えたときに友達がこのブログをやっているのを見つけた。これなら自分でも始めれるのではないかと思い始めることにした。